風土史観や国民性理論

 泥濘は回り道をしても矢張り泥濘へしか導かない。風土史観や国民性理論によっても、反動の終局的な結論への定石の手を脱することは出来ない。今日反動の結論は何等かのファシズムにしかない。果して氏は「大和魂」の哲学へ直行する。日本国民は本来日本国民らしい「国民精神」を持っているのだ。之は日清日露の両役で立派に発揮されたものだ。然るに今では欧州産の町人根性[#「町人根性」に傍点]がこの特色を蔽い匿くして了っている。大和魂を資本主義によって歪曲されている、大和魂を資本主義的国難から救い出せだ。が、日本国民を救い出すものは、マルクス主義――之は本当は民族自決を結果する筈であるのだが――ではあり得ない。なぜならマルクス主義者は、日本国民精神を無視してロシア精神を鼓吹するからである。では「国民精神文化研究所」の建設にでも依ってであるか。貴族的で反抗的な氏によればそう単純には行かない。では何によってであるか。他でもない吾々の「くに」という最高の犠牲社会の自覚によってである。――但し読者は早まってはならない、「くに」とは国家の事ではない。国家などは利益社会に過ぎない。自分はファシストなどではない(「現代日本と町人根性」――雑誌『思想』)。処で風土史観や国民性理論は実はこれを云うために用意されていたのである。 併しファシストは色々なことを云う、政府と国家とは別だ、国家と国民とは別だ。そうすれば同じ調子で同様に国家と「くに」とは別ではないだろうか。だがそれは要するに共産主義と真理とは別だということである。或いは思い切って譲歩して、ロシアの共産主義と日本の夫とは全く別だということなのである。日本に於ける範疇と欧州に於ける範疇とは全く別だということなのである。――この日本ファシズム的結論に就いては、和辻哲郎のモダーン哲学も本質に於て、例の権藤成卿翁や鹿子木員信博士の大和魂哲学と全く一つである。日本的範疇をどんなに器用に欧州的範疇に結びつけ[#「結びつけ」に傍点]ても、所詮之が日本的範疇の哲学の落ち行く先なのである。 だがそれにも拘らずその反作用性と貴族性の故に、氏は世間に流行する日本ファシスト達の間に伍すことを肯んじない、「思想善導」などは趣味に合わない。自分は所謂[#「所謂」に傍点]ファシスト等を――所謂[#「所謂」に傍点]マルクス主義者達と一緒にして――軽蔑する。だから和辻教授は文部省の研究費は貰っても、思想善導官にはなれない。 和辻教授の反動化過程の心理は之である。だがこの心理が計らずも国際世界の客観的情勢の階級的反映の一類例に他ならないことを読者は注意すべきである。[#地から1字上げ](一九三二)[#改段]

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