和辻博士・風土・日本

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 私は前に「『やまと魂』学派の哲学」に於て、権藤成卿翁や鹿子木員信博士と、和辻哲郎博士(もっとも当時はまだ博士ではなかったが)とを並べて、和辻博士のモダーン哲学は、ヨーロッパ的カテゴリーと大和魂的国粋哲学のカテゴリーとの絡らみ合ったもので、結局において日本主義イデオロギーの最もハイカラな形態なのである、というようなことを指摘したのである。ところがこの点、其の後になると、ますます判然として来たと見ることが出来る。特に一九三五年の秋に出版された論文集『風土――人間学的研究』は、『人間の学としての倫理学』と共に、和辻哲学の一般的な哲学法と、特定な関心との対象とを明らかにしたもので、翻読に値いするものと云わねばならぬ(『人間の学としての倫理学』の批判は拙著『日本イデオロギー論』に載せてある)。 すでに書いたことだが、和辻博士の哲学の誕生には、外部的内部的な一つの必然性があって、それが今日の姿を産み出していることを、まず注目しなければならぬ。氏はまず初めにニーチェとキールケゴールとの発見者として現われた。哲学が日本ではまだ充分に思想として、また思想のメカニズムとして発育していない頃、大学を出た氏としては、ニーチェや特にまたキールケゴールを哲学的な学的共感を以て見出すことは、それだけで卓抜な眼の所有者であることを証明するものなのだ。ニーチェやキールケゴールは勿論、イラショナリズムとか、ヴォランダリズムとか、または宗教的形而上学とか、また哲学的文化とか、其の他其の他の普通の哲学概論式命名によっては少しも内容を説き明かされることは出来ない。それは今日から云えば、大体において、人間学[#「人間学」に傍点]という課題として最もよく理解出来るものだったのだ。然し人間学という観点がアカデミックな哲学に於て今日のような意味を得て特殊の優待をさえ与えられるようになったのは、日本ではごく最近のことであるし、ヨーロッパでも極めて新しい現象なのだ。今日、この意味での人間学は、一種の流行哲学である。その代表者の一人が風土史論者としての、また倫理学者としての、和辻博士自身なのだが、この人間学の先駆者としての古典はニーチェ、特にキールケゴールなのだ。古く之を自分の哲学的な関心対象として発見した博士の眼は、決して平凡であったとは云えないしまた決して偶然に基いたものであったとも云うことは出来ない。 しかし、博士の眼光の力は、さることながら、この眼光が、こういうやり方で働きはじめた心理的動機を見ておくことも亦右に劣らず大切な要点となるだろうと思う。氏の独創的なそして警抜な眼光は、決してそれ自身の内部的な情念の必要からばかり働きはじめたのではない。それは大いに外部同時代者からの影響の結果によるものであり、しかもこの影響に対する反作用(特には之は反動を意味する)や反抗が、精神上の動機力をなしているのである。ニーチェやキールケゴールは、当時の日本のアカデミー哲学の俗物的平板さに反抗するために取り上げられたとも見られる。この点、和辻思想を理解するのに根本的な参考になるのだ。そして、この反抗は、いつも一種の文化人的貴族性によって着色されているという点も亦、参考に必要だ――。『日本古代文化史』は津田左右吉氏等の日本文学史に対抗するために、日本文学の一種の優越性を結論しようとしたものであり、そしてそこに使われた方法論はまた当時流行であったリッケルト一派の歴史学方法論に対抗するために、ランプレヒトの心理学的方法を担いだものだった。アメリカニズム(と云うのは、つまり、資本主義文化の普遍性に相当するもののことだが)に対抗するためには氏がアメリカニズムの原型と考えたローマ主義に対抗する必要があるというので、それを動機として「原始キリスト教」の研究が発表される。 この貴族的反抗性反作用性の特色と共に、和辻氏の卓抜さに於ては、思想上学術上のモードの新しさを追い求めるという一つの心理も亦、これに劣らず重要な役目をもっている。『日本古代文化史』や『古寺巡礼』や『日本精神史』(また『続日本精神史』)では、日本や古代日本というものを、一つの新しいモードとして追い求めているのを見出すことが出来るだろう。ひとり関心や省察や研究のテーマだけがアラモードであるだけではない。研究・省察・関心・の方法や態度そのものが又、アラモードなのだ。『原始仏教の実践哲学』では、この研究・省察・関心・におけるファッション・アラ・モードぶりは、絶大な威力を発揮した。原始仏教の教義内容をば、当時からドイツで広く行なわれている斬新哲学たる「現象学」を使って、見事に解剖したものである。現象学上の哲学的省察法が、じつは原始仏教そのもののもつ省察法であったという次第である。かくて、とに角、原始仏教は二十世紀の文化人にも極めて理解しやすい文化財となったわけだ。これまでの僧侶的な仏教学者達の思いも及ばぬ古典紹介ぶりであったのだ。

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