和辻思想

 だが、この頃から、和辻思想には、一つの方法[#「方法」に傍点]というものが形を取りはじめたのである。たとえば、『日本精神史』などにおいては、まだ何等自覚的な方法が省察されてはいなかった。方法は明らかに見えてはいるが、それの省察がまだ充分に自覚的ではなかった。ところが今や、方法はまず、フッセルル式な「現象学」のそれを利用して、形を取りはじめたのである。 思考の仕方におけるファッション・アラ・モードぶりというのは、しかし、決して謂わゆる進歩的ということとは一致しない。進歩とか反動とかいう歴史の運動における大局的な必然の動向とは関係なしに、大衆的に、あるいはインテリの支配的な勢力として、大勢[#「大勢」に傍点]をなすものに対する貴族主義的反抗が、じつはこの際のファッション・アラ・モードだ。あまり普及してしまったファッションはもはやファッションとも云うことは出来まい。まして、アラ・モードなものなどではあり得ない。でこうなると、真の意味において、歴史の大勢から云って、新しいということは大して問題ではないので、そこでは新しさよりも大勢への反抗の方が、思考の興味をそそることになるのである。和辻博士は、学生の左翼化を、一つの普及しすぎたファッションと見て取り、この古い流行に新流行の反逆をさせようと思って、みずから右翼化ないし反動化したのである。だから氏の反動家ぶりなるものは、それ以来、常に、敵本的なものであり、いつも多少なりとも、逆襲的で、皮肉な性質をもっているのである。 さて、この逆襲的反動性を結果する貴族主義的な一般的反抗性(アマノジャク性)そのものがじつは和辻思想の方法を前進させたのだということは、非常に興味のある点である。なぜというに、博士はここで、マルクス主義的哲学方法という一つの方法論上の対立物を、敵手を、いな好敵手を、発見したからである。というのは、詰り、和辻的方法を生長させるに持って来いのいい対手を持ち合わせたからである。――ところが当時ドイツのブルジョア哲学の最も有力な(そしてアラ・モードな)哲学の一つは、フッセルルの『現象学』からハイデッガーの『存在論』ないし『人間学』への移行であった。これの日本における最初の代表者は、三木清氏であったが、三木氏がこれを初めマルクス主義との友誼関係において捉えようとしたとは事かわって、和辻博士の方は之を、ほかならぬマルクス主義反対のための、いなマルクス主義打倒・撲滅・のための、そして、やがてマルクス主義弾圧(政治的行政的弾圧だ)のための、何より有効な武器として自覚したのである。――かくして和辻思想の哲学法は、ここのところ、内部的にも対外的にも、まさにほかならぬ人間学、あるいはもっと正確に云うなら、人と人との間の学(「人間[#「間」に傍点]」の学)になければならないのだ。それが反唯物論の殆んど唯一の残された道だからだ。倫理学の教授としての氏は、これによって、人間[#「間」に傍点]の学としての倫理学を建設できる。ところで、そういう倫理学は、国際的に共通なものであるよりも寧ろ「ところ、ところ」によって異る「人間」の、それぞれに特有の倫理学でなくてはならぬ。して見れば、日本には、日本特有の倫理学が之によって見出される筈だ。ところが、そうなると、文化史家としての和辻氏は、一つの飛躍を可能にされる。いったい「ところ、ところ」によって人間が異るとは、どういうことか、という問題へ前進するのである。ここに風土なるものが発見されたのである。――人間学は風土理論に行くことによって、初めて文化史の方法として完備する。そして大切なことは、之によってまた初めて、マルクス主義的な史的唯物論に逆襲を試み、これを皮肉りそれの虚をつくことが出来る、というわけだ。なぜなら「風土」によると日本の特異性を強調することが出来、それによって初めて「ロシア的日本人」(!)の漫画を描けるかも知れないからである。 こう考えて来ると、『風土――人間学的考察』という本の題はきわめてピッタリとした名づけ方であると同時に、たいへん正直な題だということも判るだろう。この本が和辻思想にとってまた現代日本の支配者の文化理論にとって、いかに重大な意義があるかということは、もはや説明を必要としないのである。痴鈍なるインテリ大衆や人民大衆に反抗する、選良インテリの軒昂たる意気から云っても、その着眼のスマートさから云っても、その方法のファッション・アラ・モードぶりから云っても、そして更に行政上の反動政策の文化的顧問力から云っても、その意義の重大さは、いまは広く認められているのである。

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