「漱石文化」の遺産

 だが私は夏目漱石論をやろうとするのではない。現代乃至最近の日本の文化的相貌の内に、云わば「漱石文化」の遺産や発達をさえ見出すことが出来る、ということが、指摘したいのである。而もこの現代漱石文化なるものは決して単純な意味での文学の世界に限られないことも、前に云ったことから当然だ。文化全般に於ける漱石的要素なるものが問題だ。そしてここに「学者であって小説を書いた」漱石ということが、深い関係を有つのである。

[#3字下げ]二[#「二」は小見出し]

 もし漱石が思想家であったかという問題が提出されたら、私は充全な意味では思想家ではなかったと答えるべきではないかと考える。漱石は思想家ではなくて寧ろ文化人である。という意味は、他ではないので、思想の自由というものは新しい文化を創設するにしても、必ずしも既成の文化の尺度・標準・を与える役目を有つものではないからである。思想は新文化を産み出すものだが、新しい文化はそれが極めて新しい限り、従来の尺度から云って決して文化人には見えないものだ。その意味で思想[#「思想」に傍点]は文化[#「文化」に傍点]の否定という性質をさえ持つことが出来るものだ。 処で漱石の場合、その重きをなし大をなした所以は新しい思想の誕生や旧文化に対するヴァンダリズム文化の創生などではなくて、あくまで既成の、常識的に許容された意味での「文化」の高水準にあったのだ。で彼は思想家であるよりも寧ろ文化人だ。彼は文化の批判者ではなくて、文化の王座であり、或いは文化の模範であった。ここが漱石の偉大さである。世間の博学から無知に至るまでの人間達が、漱石について感心し、之にあやかろうと考える点は、文化の内容の批判者としての彼ではなくて、文化の形式的な最高標準としての彼である。多少語弊はあるが、天才としての彼ではなくて、秀才としての彼なのである。 漱石が天才か秀才かなどを論じているのではない。「漱石文化」が繁栄するのは、文化の秀才としての漱石に淵源しているのであるというのだ。

— posted by id at 02:55 pm  

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