現代日本のヒューマニズムと唯物論

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 ヒューマニズムを人間的教養に結びつけることによって、之を要素的[#「要素的」に傍点]ヒューマニズムというようなものと考える事は、恐らくヒューマニズムに就いての一応最も無難で安全な規定だろう(例、谷川徹三氏)。勿論こういうヒューマニズムの重大さに就いては誰にも異論がないだろうからである。尤もそこで教養と考えられるものが一般的に何であるのか、或いは寧ろそれが元来一般的[#「一般的」に傍点]に考えられて片づけられ得るものかどうか、寧ろ教養と云っても、単にそれが指す内容ばかりでなく、教養という観念乃至カテゴリー自身が、分裂し対立に置かれているのではないか、ということが問題になるが、今は之を論外としよう(この点に就いて私はかつて論じたことがあるから)。之を論外としても、併し、要素的ヒューマニズムというものは何と云っても、色々の意味に於て要素的[#「要素的」に傍点]・素材的[#「素材的」に傍点]・な意味以上には出ないのである。 之が歴史的社会的に色々の形態を受け取って実際のヒューマニズムとして現われるのだという風にばかりは考えられない点がある。なぜならこの要素的ヒューマニズムそのものが、要素的に又云わば元素的に、いつでも同じものだとは断じることが出来ないからである。尤も予め各種のヒューマニズムから一般的共通的な処だけを取り出して、之を要素的ヒューマニズムと名づけることは、一向さしつかえのないことであるが、併し逆に、そういう要素的ヒューマニズムが色々の歴史的社会的形態を受け取るのだという還相的な説明になると、それは一つの仮定を出ない。吾々はこうした場合、ノミナリズムの真理を忘れてはならないだろう。

— posted by id at 02:59 pm  

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