文化的自由主義や文化主義

 処で私の見る処では、一般に文化的自由主義や文化主義、つまり解釈主義や解釈の哲学のことにもなるが、そうしたものは、その思想内容そのものから見る限り、大体、中庸で凡庸なものなのである。尤もそう云ってもそういう思想を持っている人間そのものが中庸的で凡庸だということにはならぬ。少なくともそういう思想を自分...

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彼の本質

 重ねて云うが、彼の本質は要するに解釈家を出ない。そういう意味に於て彼は自然人ではなくてあくまで文化人である。もし三木説に従って、自然主義を東洋的乃至日本的な人間態度とするなら、三木自身は反東洋的な一つの新しい日本人の類型であることを認めてよいかも知れない。尤も彼は東洋人ではなくてゲルマン人のような...

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三木は立派な一個の文章家である

 三木は立派な一個の文章家である。その文章は非常に整っているし、文献上の連想を伴いながら、概念を使っているから見る者が見れば含蓄も多い。だがそれにも拘らず多くの文章がレトリックに堕しているとも云うことが出来よう。と云うのは彼の書き方には普通の意味での論理的な関節がないのである。最初にやや神秘的な、人...

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