彼の本質

 重ねて云うが、彼の本質は要するに解釈家を出ない。そういう意味に於て彼は自然人ではなくてあくまで文化人である。もし三木説に従って、自然主義を東洋的乃至日本的な人間態度とするなら、三木自身は反東洋的な一つの新しい日本人の類型であることを認めてよいかも知れない。尤も彼は東洋人ではなくてゲルマン人のような...

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三木は立派な一個の文章家である

 三木は立派な一個の文章家である。その文章は非常に整っているし、文献上の連想を伴いながら、概念を使っているから見る者が見れば含蓄も多い。だがそれにも拘らず多くの文章がレトリックに堕しているとも云うことが出来よう。と云うのは彼の書き方には普通の意味での論理的な関節がないのである。最初にやや神秘的な、人...

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一人の烱眼な歴史哲学者

 だがこの転向は必ずしも三木の保身上のアダプテーションの結果ばかりではない。この転向の可能性はプロ科時代の宗教論の内にすでに現われていた。それというのも彼はあくまで歴史哲学者であったので、初めからマルクス主義者などになったことはなかったのである。彼がマルクス主義=唯物史観に接近したのは単に一人の烱眼...

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