文化財として価値があれば

 文化財として価値があれば、それは真実を持つことだから、思想として愚劣であることなどはあり得ない、と云うかも知れないが、そうではないのだ。なぜというに、ここで文化財と評価されるものは、既成文化をそのまま標準化した際の文化財のことで、無条件に、既成のブルジョア文化の力一杯の精華に他ならぬからだ。学究的...

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漱石流の文化・漱石流の教養

[#3字下げ]三[#「三」は小見出し]

 漱石自身がどうであったかということが、ここでの問題ではない。漱石流の文化・漱石流の教養・が何であるかが話題である。漱石的教養がシンセリティーを欠くようにも言われるのは、教養が単に教養に止まっていて、まだ本当に思想にまで昇っていないという点からだ。と云うのは...

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「教養」と呼ばれているもの

 さて今日、漫然と「教養」と呼ばれているものが、この文化の秀才らしさと、直接の関係があるのである。芥川的教養ということも云われないではないが、それは勿論、漱石的教養[#「漱石的教養」に傍点]に遡らねば説明出来ないことだ。つまり今日普通、教養と考えられているものは、漱石的教養であり「漱石文化」の意識に...

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